娘が学校で課題論文を書くということで、いろいろと調査をしています。テーマは富士山と世界文化遺産についてらしいです。最初は、どうして富士山は世界遺産になれないのか、というテーマだったのですが、最近になって富士山が世界文化遺産になりそうだということで、急遽テーマを変更することになりました。
そこで富士山の信仰という分野で、白根記念渋谷区郷土博物館・文学館の富士講を研究されている学芸員の方にインタビューに行ってきました。私も学芸員の方へのコンタクトと付き添いで付いてきました。
私の先祖が富士講の講(グループ)を主催していたようで、その関係で以前学芸員の方から連絡がありました。しかし、その辺りを知っているのは父まででしたが、その父は早く亡くなりましたので、富士講については私には伝わっていません。墓所に先祖の碑という富士講の記念碑を父が建てていまたので、何か我が家と富士講が関係あるのかなというくらいしか知りませんでした。逆に学芸員の方からお話しを聞くことで、いろいろと先祖と富士講の関係がわかった次第です。娘が富士山、富士講について調べるということも、おもしろい因縁であると思います。
今回のインタビューは私のとってもとても有意義なものでした。研究員の方曰く、富士講を行われている方は高齢で段々と少なくなっていて、後継者はいらっしゃらないとのこと。今回世界遺産での富士山を論じる上で信仰が重要な要素になっているにもかかわらず、あまりにも富士山信仰としての富士講がないがしろにされているのではないか。地元では富士山は信仰の対象ではなく観光、平たくいえば金儲けの対象になっているのではないかいう指摘をされていました。もし、富士講が廃れてしまった場合、世界遺産の選定の根拠が崩れてしまうということを懸念されていました。
今年も7月1日に富士山の山開きとなりますが、世界遺産になりそうだということで、登山客は大幅に増えそうです。そこで、白装束で念仏を唱えながら登っていく富士講の皆様を優先させていただきたいものです。
先祖が富士山に深く関わっていたことを全く知らなかったことで、いろいろと子どもたちに伝えていかなければいけないと思いました。
しかし、娘が論文にまとめられるのか心配になってきました。