いわゆる日本語を編集・印刷できるワードプロセッサーのことです。昔は、PCのアプリケーションではなくて、専用の機械でした。
何で日本語ワープロの話しをするかというと、たまたまICOMの記事のを読んだためです。日本で初めての日本語ワードプロセッサーの話しです。
ここで出てくる東芝のJW-10は、使った覚えがあります。大学の学部の部屋にDECのPDP11と一緒に置いてありました。大学の4年のときに、所属している研究室の講師の方が書いた論文の清書の手伝いで使いました。これは、ちょっと自慢かもしれません。
JX-10は文節ではなくて単漢字で変換していく漢字変換だったような覚えがあります。ローマ字で入力できたので何とか入力ができたような気がします。その頃のPCのワープロといえば、日本電気のPC-9801で動いていたMS-DOS上の一太郎。バージョンは3だったかな? それとも2だったかな? PC9801の大きい8インチのフロッピーディスクでプログラムを起動して、データの保存もフロッピーディスクでした。
また、この記事で出てくる和文タイプライターも使ったことあります。父が事務機器が大好きな人で、和文タイプライターが自宅にありました。たまに手伝いで打っていました。とても文字を拾っていくのは大変でした。残念ながら、和文タイプライターは廃棄してしまいました。
ついでに言うと、大学卒業後に新入社員で入った最初の精密機器メーカーで、新人研修と称して大阪日本橋のカメラ屋さんの派遣店員として1ヶ月間、専用ワープロ機(そのころはこれが主流)を売ったことがあります。寒い2月の閑散期で商品が売れない時期でしたが、30台ほど売ったことを覚えています。まだ3行くらいの液晶表示で編集して、熱転写プリンタで印刷できていました。来るお客さんに口八町でほぼ売りつけていました。
しかも、そのメーカーでは、社内で富士通のOASYSコンパチ機を秘密裏に開発していたのですが、結局はリリースされずに、そのまま社内で使っていました(この話は今では時効ですね)。縦型のモノクロCRTで、もちろん親指シフトのキーボードがついて(だけど入力はローマ字でした)、5インチのフロッピーディスクで起動して、なんとページプリンター(レーザーではなくて液晶シャッター。これでメーカーがわかってしまう。)で印刷ができていました。
こんな感じで、日本語ワープロの思い出がいろいろ出てきます。